小田原お堀端通り
平成25年

平成25年5月21日   「小田原 中村郷史跡巡り」      (緑色字句には対応した関連写真を載せています)

 5月21日、国府津駅発比奈窪行バスに乗り、中村川沿いの坂呂橋で降りる。ここは小田原の北東部で50メートル北に行けば中井町。 周辺は源頼朝を援けた中村氏一族が治めていた土地ですよ、と地元のガイドの方3人が説明してくださる。
 最初は低い丘に囲まれた中村宗平の館跡、鳥の久保へ。
 古めかしい五輪塔
があり「ここに館があったよ」と呟いている感じだ。

           
          平 宗平の墓石と五輪塔                             下中座の碑

 次は八坂神社内の「下中座の碑」を見学。
 下中座はここを通った人形遣いが教えたことに始まるそうで県無形文化財に指定されている。直近では9月22日に川崎民家園、更に12月8日に「けやきホール」で公演があるとのこと、 是非見に行きましょう。
 葡萄畑を左に見ながら東際寺へ。
 足利氏満によって建立された臨済宗建長寺派のお寺で本堂正面には足利氏満の真筆による扁額が掲げられている。中村一族の信奉が篤かったという。 「大切なのはお寺と檀家さんの密な交流です。それに比較して霊園は・・・」という若い住職さんの話を聞く。
 郷土史家として有名な故竹見龍男さん宅の立派な門に目をやりながら最後の訪問地、中村宗平や源頼朝が崇敬していた白髭神社へ。 五穀豊穣を祈る奉射(ぶしゃ)祭が有名で市指定無形文化財になっているとの説明。

  
                 東際寺                               白髭神社



 ガイドさん達の巧みな時間配分で予定通り終了し二宮駅行きバスに乗ることが出来た。もし乗り遅れたら次のバスは1時間後だから大変だ。徒歩30分以内の史跡しか関心がなかった私。 視野の狭さを大いに反省させられた。(文:松島、写真:植田)



平成25年3月12日   「春めく伊豆松崎方面史跡巡り」

 3月12日、長く厳しかった冬を脱し、まさに“春めく”これ以上ない好天に恵まれ、青いカンバスの中に浮き立つような富士の姿、沿道に一斉に咲いたような彼岸桜の緋色が参加 38名の気持を「風さえも春めくものとなりにけり 汀子」と華やかせてくれていました。
 箱根新道から伊豆中央道に入り、道の駅「伊豆のへそ」で休憩の後、松崎に入り先ずは国重文である初期洋風建築の「旧岩科学校」に到着する。
 玄関正面には時の太政大臣三条実美の筆による『岩科学校』の額、その上部にはこの地らしく長八の鏝による龍が舞っていました。同館は1880 年(明治13年)建築らしく、2階正面にバルコニーを配し和洋折衷が何か懐かしい気持ちにさせられました。

   
             重文 旧岩科学校                            三条実美の書

 昼食の後、白亜の漆喰建築の「伊豆の長八美術館」へ
 館そここに見られる瓦・漆喰アートもさることながら、館そのものがモダーンなモニメントそのもの、館内には1815年(文化12年)松崎に生れ、江戸で狩野派の絵を習得の後 この地で左官枝術に彫塑を応用した漆喰に、鏝絵の色彩を加えて独特の漆喰芸術までに昇華させた入江長八の作品群が展示されていました。 長八の容貌は一左官職人を超え芸術家そのものでした。

  
                 長八美術館                               長八肖像画

 次いでその程近い、長八が少年時代過ごした菩提寺「浄感寺」を見学する。本堂と兼ねる長八記念館で長八の業績の説明を受けた後、袖の欄間の色彩鮮やかな飛天 ・本堂天井に画かれた八方にらみの龍≠ヘ幾多の龍図に劣らず射す光によって眼の光り様が計算された見事さに感動…。
 境内には長八の墓が眠っていました。

     
              八方睨みの龍                               飛天の図

        
            長八の墓                             満開の桜と長八の顕彰碑

 最後は下田宇土金に建つ「上原仏教美術館」へ。
 同館は館入口に銅像として建つ大正製薬の上原正吉夫妻の寄付による130体余を収蔵とか、2,3点を除いて新しい木彫仏体が多い様でした。
  帰路は下田よりループ橋を渡り河津桜を垣間見、天城越え浄蓮の滝を横に見て、村の駅でそれぞれに土産を求め伊豆半島の半分近い行程を運転手さんの機転で登破、予定通り 18時半無事帰着しました。(文:田中 写真:植田)

  
              上原正吉夫妻の銅像                            木彫仏像群



平成25年初詣(1月17日)   「高幡不動と日本民家園」紀行

 平成25年初詣は日野市の「高幡不動尊」。
 1月17日8時、参加者38名を乗せたバスは小田原駅西口を出発。ほぼ満員の参加に車内はこころなしか初詣らしく華やぐ。  小田原・厚木道路を経て厚木より国道129号線を疾駆、一路日野に向かう。
 周辺の道路・山野には14日降った積雪がまだ残り、暖冬に慣れしたんだ身に冬の寒さを思い知らされた。
 10時、高幡不動尊到着。ウィークディーに関わらずバス駐車場は満車の盛況。境内はだるまや飾り物を売る露店が並び仁王門・不動堂 にも正月飾りの派手やかな幕が張られ初詣らしい華やぎを演出していた。

  
               五重の塔と不動堂札                           札  所

 成田・大山と共に関東三大不動として高幡不動尊は、高幡山金剛寺は古文書によれば奈良時代(700年代)、行基の開基と伝えられ 、平安初期(1100年前)慈覚大師が清和天皇の勅願により この地を霊場と定め建立したという古刹である。
 境内の台地に建つ色鮮やかな五重塔を左手に見つつ国重文の仁王門をくぐる。若い寺僧の先導で先ずは不動堂裏手の奥殿に入る。
 奥殿には重文の曼陀羅・鰐口等の工芸品・古文書の寺宝が数多く陳列されていた。幕末の偉人として親しみ深い山内容堂・勝海舟・山岡鉄舟の書も見られ、 この地の旧家出生の土方歳三の筆跡に函館戦争まで戦い抜いた強いとなり想わせた。境内にはこの新選組副長姿の銅像も建つ。
 更に奥殿を進むと本尊である通称「汗かき不動」の重文不動尊を拝す。尊容すざましき陰に親しみ深い容貌に魅せられた。 両側に座すこんがら・せいたか童子は愛嬌あるその容姿・表情に親しみを覚えた。三体とも往時は配色されていたらしく僅かにその痕跡を残す。
 不動堂参拝の後大日堂に向かい天井に画かれた鳴り竜(中村岳蓮筆)下で各自柏手を打ちその妙音に本年の願いをこめる。

 しばし境内自由散策の後、道を挟んだ「開運そば」で蕎麦づくしの昼食に満腹、舌鼓を打ち13時半川崎多摩区の台地にある昭和42年開演された 「川崎市立日本民家園」へ。
 14時到着、3班に分かれ見学する広大な起伏に富んだ台地には森林が配され、全国から集められた23棟の国重文・県重文の江戸期の古民家がその時代の姿を移築復元されて、 他に水車小屋・船頭小屋・高倉・歌舞伎舞台等々。その農村建築物をつなぐ道には道祖神・庚申塔・馬頭観音・道標など石物が配され 往時の姿を偲ばせていた。民家群の土壁・土間・囲炉裏・竈には私たちの心の奥に潜む想いを充分に再燃させてた。茅葺の屋根に残る積雪の跡にもこの民家群の持つ風情を助長させていた。      
   

  
    
          飛騨の合掌作り                             房総の古民家

 民家園見学を終え運転手さんのバスへの石段の除雪の小さな親切に感謝しつつ乗車、16時川崎ICから東名高速に入り帰路に着く。
 休憩を挟み17時40分無事帰着。今年も実り多い初詣であった。(田中記)(植田写真)


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