東京六義園(6月)
平成27年

平成27年3月17日  「埼玉県 川越市史跡めぐり」(緑色字句には対応した関連写真を載せています)

春の史跡巡りは川越です。今日の楽しみのひとつは昨年6月に東名・中央道・関越道に接続された首都圏中央道初乗りです。厚木から北に向かってあれよ、あれよと八王子・あきる野・狭山を過ぎ、気がついたらそこはもう川越。 川越市立美術館に隣接する川越市立博物館に入ると丁度展示解説があり小江戸といわれた城下町川越の変遷、新河岸川舟運の繁栄、職人とお祭りなどについて聞きました。小田原に関係することはないかと館内を眺めたら、
北條氏康がここまで来て戦ったことが「武士の活躍と川越―中世―」のコーナーで展示されており少し嬉しくなりました
     
                江戸時代の川越城下町                          蔵造り通り                

帰宅後調べたところ「史上著名な川越合戦(小田原市史)」と書いてあり、全く知らなかった私はかなり落ち込みました。せめて「知る人ぞ知る川越合戦」と書いてくれればなと思います。よく読むとこの戦いを機に北條が更に力をつけ、山内上杉、扇谷上杉らが没落し中世が終わりに近づくきっかけとなった重要な戦いだったのですね。勉強しました。次は普通の人はまず訪れない三芳野神社(川越市立博物館の近く)です。なぜここに来たかというと研修委員長の内田さんが童謡「通りゃんせ」発祥の地を訪れましょう、と粋な提案をしてくれたからです。研修委員の中條さんによれば小田原にも同じように「通りゃんせ」発祥の地がある、との耳寄りな情報。脱線して済みませんが帰宅後調べたことを書きます

    
            三芳野神社                           小田原市国府津の菅原神社

ネット(ウイキペディア)では確かに「小田原市の菅原神社(山角天神社)もその一つ」、とありますが、南町にある山角天神社と国府津にある菅原神社が混同しています。しかし文面・写真から山角天神社が発祥の地のひとつ、と解釈出来ます。山角天神社の近くの人に聞いたら、単に「天神様のお通りじゃ」という歌詞があるので碑を設置した、とのことで、発祥の地とは全く関係ないそうです。ネットも困ったものですね。国府津の菅原神社に行ったら「通りゃんせ発祥の碑」がありました。なお、「扣の帳(20号)」に石口さんという方が三芳野神社と菅原神社の「通りゃんせ伝承」について書かれたものが参考になります。調べた、と言ってもこの程度のことで大変恐縮です。後は文章ではなく写真で街を紹介します。古い街並みを保存している川越の方々に敬意を払うとともに関東大震災も戦災も免れたと聞き、ちょっぴり羨ましい気分になったことを付け加えます。(松島記)

     
         川越のランドマーク時の鐘                       重文 旧第85国立銀行               

  
               菓子屋横丁


                              川越市立博物館前

小江戸と言われた川越市は、江戸時代の名残を色濃く残した城下町である。 名所旧跡や歴史的建造物などの宝庫であり
我が小田原市とは異なる雰囲気を持った街であった。 我々が訪問した3ヶ月後に菓子屋横丁が火災で大半を焼失してしまったことは大変残念であり、早期に再建することを願うばかりである。   機会があれば又、行きたい街である。(植田記)



平成27年1月20日
   「東京池上本門寺・六義園・日本民藝館 初詣」
(緑色字句には対応した関連写真を載せています)

 大寒の日、1月20日に小田原史談会の初詣は今年も快晴に恵まれました。 参加者は稍少なくはあったが、バス内は「今年も宜しく…」等々初詣らしく華やいだ声が飛びかっていました。  小田原厚木道路を経由して東名へ、首都高速に入ると渋滞が始まっていました。その間を利用して、この日訪ねる池上本門寺・六義園・日本民芸館の概要説明と自己紹介。
 10時30分、六義園に到着、入場に先立ちガイド嬢より「65歳以下の方はいられませんか?」と問われるも声なし、ここにも老齢化が…。「六義園」 は徳川5代将軍綱吉の側用人として権勢を誇った柳沢吉保の下屋敷に道営された庭園で、山を築き、水を引き池をなした27千坪余の回遊庭園、度々の綱吉のお成りもあったとか。 明治初年岩崎弥太郎の手によって蘇えり、昭和13(1937)年東京市に寄贈されました。この時期華やかな景観は望むべきもないが、 入口に立つ枝垂桜が地に触れんばかりの枝を流し、雪吊りを施した松と茶屋 の緋毛氈の対比、満々と水を湛えた池面には周りの景観を写し、私達を充分満足させてくれました。

   
             六義園 中央部景観                            六義園 茶屋遠望

   
                 園内の枝垂桜                             六義園 案内板(画像クリックで拡大)

 六義園を辞し、浅草定番の「ごろごろ会館」で昼食、館内は食事や土産を求めるツアー客で混雑していました。12時30分開館を出発、程近いスカイツリーを左に、 正面を見て次の訪問地日本民芸館に向かう「日本民芸館」への道路は狭くセレブな邸に目を奪われながら、駒沢公園近くをあるくこと15分余、13時50分民芸館に着きます。
 大谷石の門の奥には木造瓦葺大谷石のなまこ壁蔵造、道を挟んで栃木から移築した石屋根の長屋門と対を成していました。「日本民芸館」 は美術研究家で民芸運動の主唱した柳宗悦が、大原孫三郎(クラレ・大原美術館創設)の経済的援助を受け、無名の工人による工芸品の真の美≠紹介するため全国からの収集品を寄贈、 昭和11(1936)年創設されました。内部も大谷石を敷き、太い梁に覆われた2階建て。この期間「文字の美〜工芸的な文字世界」特別展を開催していました。古い和紙に書かれた (又は拓本)文字はその域を超えて美しく模様化されていました。他に朝鮮・日本の名もなき民衆から生まれた陶芸品・染織・漆芸品・紙工芸品・民具が展示されていました。

   
               民芸館正門                                   本門寺仁王門

                
              重文 五重塔                                 日蓮上人大立像

 最後はこの旅の主目的『池上本門寺』へ初詣。敬虔な法華宗の帰依者であった加藤清正寄進による96段坂を登ると云われましたが、バスは貴船坂を登り大堂(祖師堂)に15時30分 到着しました。池上本門寺は日連聖人終焉の地近くに弘安5(1282)年開堂、その後継者日朗が創設した古刹、江戸時代には徳川の庇護のもと諸堂が揃い日蓮宗七大本山の一つです。 度々の焼失を繰り返し昭和39(1964)年再建されました。
 僧侶の読経・太鼓を背に大堂前で集合写真を撮りました。 寺内散策、仁王門は アントニオ猪木をモデルとか。経文を日蓮右手に捧げる北村西望作の「日蓮聖人大立像」、重文の五重塔、数々の大名・著名人の墓碑が数多く 配されています。散策時間は過ぎ15時50分、往路を逆に疾駆、17時半、無事小田原駅に帰着しました。(文:田中、写真:植田)

本門寺本堂前

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