曽我別所の流鏑馬
平成29年

平成29年1月17日 初詣 「行き先は氷川神社と鉢形城址」

 正月も小正月も過ぎた17日、小田原史談会の初詣バスツアーが催された。行き先は埼玉県大宮の氷川神社で、これに加えて寄居町の鉢形城址だ。

 小田原駅西口集合が7時50分。私がひとつ手前の駅のホームに立ったときに、人身事故で52分遅れの電車が来た。その後はいつになるかわからないというアナウンスだった。出だしからラッキー。  バスは予定通り8時に出発。マイクを取った男性が、「私は添乗員ではありません、世話役の飯田です」と挨拶、次いで行程の説明があり、大宮まで2時間か2時間半という。

 小田原厚木道路では、雲ひとつない空の端に富士を見つけた。富士に雪、丹沢にも雪だ。海老名PAを過ぎて飯田氏の「講義」があった。「私は団塊の世代で神様に対して失礼な言い方をするかもしれませんが」と前置きして、「氷川神社の創建は約2400年前といわれます。実にいい加減です。祭神の須佐之男命と稲田姫命はめおとで、大己貴命はその子。一家三人祀られてますから、氷川神社は家内安全・縁結びの神様となっています」といった解説から始まり、お客さんを飽きさせないようにという配慮からか「神社の雑学」をたっぷり語ってくれた。
 「神宮といえば伊勢の神宮で、伊勢は『宮』でなく、『宮』の字から『ノ』を取った字を使います。『ノ』は廊下で、『ノ』がないのは建物と建物が廊下で繋がっていないことを表わしてます」と、只「へえー、そうなんだ」と言うばかり。
 「初詣は明治の中頃から習慣化したもので、それは鉄道ができて人々が外へ出るようになったからです」というのには、なんとなく納得。最近10年の全国初詣人出ランキングも披露され、氷川神社は約200万人でベスト9だ。

 続いて、「鳥居には、構造から明神鳥居と神明鳥居があるんですよ」「お賽銭は境内に入る前に用意し、賽銭箱の前で財布を開けてはいけません。神様は財布をみて『お金がたくさん入ってるのにそれっきりしかあげない、ケチな野郎だ』と思われますからね」「神様は個人(自分)の願い事は聞いてくれません。世界や国のこととは言いませんが、せめて家族のことまでです。宝くじが当たりますようになんてもってのほかです。お願いするのもたいへんなんですから」「『二拝二拍手一拝』というのは多くの方がご存知なんですが、『拝』は九十度に腰を折ることを言います。そこまで曲げないと『拝』ではないんです」という具合。なかには「本殿の屋根の両端で交叉している千木には外削ぎと内削ぎがあって、普通は外削ぎが男の神様、内削ぎは女の神様となっています。鰹木も奇数は男の神様、偶数は女の神様です」なんて雑学の域を超えている。我々はバスの中で知識?をたんまりと仕込んでしまった。

 バスは都心に入り込んだ。ビルの建て込む三軒茶屋あたりでは青空もビルの隙間から見るって感じだ。あと一時間か。
 利根川を渡って埼玉に入る頃には、「ほん和菓きな粉餅」が配られた。これから初詣に行く我ら一行に、バスガイドの杉田さんが、「お客さんから『末吉は吉よりいいんですか』『中吉、小吉は?』と聞かれたことがあってグーグルで調べました」と前置きして、おみくじの吉のランクを教えてくれた。こうして、溢(こぼ)れるほどの雑学を詰め込んで大宮に着いた。

 氷川神社には横っ腹の西駐車場から「侵入」したって感じです。2キロあるという参道はどこ? せっかく来たんだからと、どデカイ二の鳥居まで欅並木を歩いてきた。


山門


本殿

境内には「武蔵一宮」という文字が目につく。武蔵一宮はかつて多摩のほうにあって、ここは三宮だという本もある。江戸のころには神主が三家あって、社の本体はいずれの神さまであるのかと寺社奉行の裁きを求めたことがあった。とかく大きいところには争いがある。

 バスに戻ると、飯田氏は「私は九十度でやりました」と言われた。そんな人は他にはいない。飯田氏は「拝」を業とする人の領分に入り込んだらしい。また、「千木が外削ぎで、鰹木は奇数だったから男の神様」と言っている。しっかり確認してきたようだ。

 お昼は大宮駅近くのホテルでバイキング。約一時間の昼休み後、バスは寄居町に向かった。ここで飯田氏が鉢形城のおおまかな歴史の説明をされ、また北条氏邦が用いた(きゅうほうゆうふく)という印には氏邦と於福御前の名が入っているとも言われた。

 窓の外に少し白い雲が出てきたが、バスの右手に富士がよく見える。近くの席で「関越は何度も通るけど富士山見たのは初めて」という声がした。ウトウトしていたら「今度はそちら(左側)に富士山見えますよ」と言葉がかかった。

 田んぼの後方に葉を落とした雑木林が続いている。高速から見える風景も小田原あたりとは少し違ってる。バスは高坂SAの先、東松山付近をひたすら進む。冬の陽差しは柔らかく、揺られてまたウトウト。次第に畑地が多くなった頃、荒川を渡った。右前方の榛名山にはうっすら雪があるようで、チェーン規制されているそうだ。

 午後二時前に寄居町に入る。ここからバスガイドの杉田さんの「口演」が始まった。「小田原と寄居町は姉妹提携都市です。下田運転手の話では『俺は去年、甲冑隊を乗せてここへ来た』と言っています。荒川の川べりで北条方と豊臣方に分かれて甲冑を着けて戦いをするんです。去年は五月八日に行われて三万人が見物したそうです」「去年は兵庫の報徳学園の生徒さんを案内して、小田原、今市をご案内しました」というに止まらず、「あるお坊さんに教えていただいたんですけれど、梅は散るとは言いません。梅は溢れると言います。萩もそうです。それでは牡丹はどうですか、崩れると言います。椿は朽ちる、紫陽花は崩れる、朝顔は凋む。日本の言葉は本当に豊かですね。」と淀みない。この人は並のガイドさんではない。私などはメモを持っていないとこんがらがってしまう。

 窓の外に「鉢形」という文字が見え始めた。陽が少し傾いてきた。杉田さんから、「みなさん、暖かい格好で見学してくださいね。暑かったら脱げばいいんですからね」とひと言あった。

 鉢形城址には二時間いた。歴史館では30分ほど館長の石塚さん説明を受けたが、館内の大きな年表に長尾氏の記述が最初の二行しかなかったのは物足りなかったな。長尾氏でなくまた山内上杉でなく、鉢形城は氏邦あっての城って感じでしたね。



石積み土塁



北条氏邦・大福御前

 我々は三つに分かれて国指定史跡の城址を見学した。私の三班はボランティアガイドの高橋さんの先導で、広い城址を急ぎ足気味に廻った。想像していた以上に広い。落ち葉をガサガサ踏みながら上ったり下ったり、道を渡ってまた戻ったり。川向こうを指して「この先が氏邦夫妻の墓がある正龍寺です」「あそこが藤田泰邦のいた花園城址です」と高橋さん。長尾景春の時代の曲輪も教えてくれた。

 陽が山際にかかるころ鉢形城公園を出た。一路小田原へというところを、飯田氏お勧めの嵐山PAで一休み。ここにはインパクト大のお土産「ブラックシリーズ」がワンサカあるんだという。杉田さんも、「まっくろ黒ごまもち」「どくろサブレ」等々がありますよと合いの手を入れてきた。

 さあてと、真っ黒に期待を持ってPAに入ったが、言うほどのものではない。せっかくだからと証拠に「黒七味」を一つ買ったが、見ていた人に「唐辛子は赤いもんよお」って言われちまった。飯田氏は、「嵐山PAの様子はだいぶ変わりまして・・・」と残念がっていた。

 圏央道から小田原厚木道路で小田原に近づく。車内で今回のバス旅行のアンケート用紙が渡され、また『小田原史談』第248号の紹介と「入会のお誘い」も配られた。

 午後7時半、無事に小田原駅に戻る。ガイドの杉田さんの話では、小田原厚木道路の荻窪ICは午後8時から通行止で、もう少し遅かったら通れなかったという。まさか帰れないなんてことはなかっただろうけど、とにかくラッキーだったらしい。

(青木良一)




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